体験談

中卒で京都の西陣織の会社に住み込み修行した時の想い出

どうも、あしたのひまわりです。

実は私は横浜の中学校を卒業してすぐに京都の西陣織の帯を織る会社に就職して住み込みで働いた事があります。
期間としては2年半ほどです。
入社して3年間は見習い期間だったので、結局見習いのまま終わってしまったのですが色々と想い出深い事の連続でした。
今日のブログは住み込みで京都の西陣織の修行をしていた時の想い出話です。

何故、中学を卒業してすぐに京都の西陣織の会社に行ったのか!?

はっきり言ってしまうと、西陣織に興味があった訳ではありません。

家庭環境が複雑で、今で言うと『虐待』を受けて育っていたので早く家から出たかったんですね。
そんな時にテレビで西陣織の特集番組をやっていて、それを一緒に観ていた家族が『あんたもこんな所へ行けば良いんだよ』と私に言った事がキッカケでした。

『そうだ、行こう。そしたら家からも離れられる』と、コレが私の動機でした。
今思うと自分の進路をこんないい加減に決めてしまって、馬鹿だなとは思うのですが、当時の私は考えが幼かった上に追い込まれていたのだと思います。

京都の西陣織の会社は当時通っていた中学校の先生が探してくれたんだと思います。
西陣織の会社の他に『働きながら勉強も出来る紡績工場みたいなのもあるよ』と勧めてくれてたし…。

京都の西陣織の会社に1人で面接に行って、あっさりと入社が決まりました。
面接では『テレビを観て興味を持ったから』と話したと思います。

6畳ひとまの部屋に女の子4人の共同生活

春になり、入社して私が住み込みで住む事になった部屋は織物工場の2階にある6畳の部屋。
その部屋は2階建てベッドが2つ向かい合わせで並んでいて、ベッドを挟むようにテーブルが置いてある。
私は下のベッドで寝る事になりました。
最低限の所持品は押し入れの中のダンボールに入れ、唯一のプライベート空間はカーテンを閉めたベッドの中。
プライバシーもへったくれも無い部屋に女の子4人で住む事になりました。

最年少は勿論、中卒入社の私、そして高卒入社の2人と元から住んでいた20代前半の先輩1人の計4人。
隣にも同じような部屋があり、女性3人が住んでいたかな?

不器用すぎて仕事も遅く、給料泥棒と言われて…

最初は家族から離れられた開放感が強かったのですが、京都の西陣織の住み込みでの厳しい修行生活に精神的に幼かった私が馴染めるはずもなく、しかも不器用で手も遅く、西陣織の才能はありませんでした。

上司からの『このままじゃ給料泥棒だよ』などのプレッシャーに加え、同僚からも嫌がらせを受けるようになり次第に居づらくなって2年半後には辞めてしまう事になります。

他人に苛められるよりは家族からの虐待の方がマシだと思い、最初は横浜に戻る事も考えたのですが、電話したら家族から『冗談じゃない!出て行ったんだからもう帰ってくるな』と言われる始末…。

気持ちを切り替えて住み込み生活で貯めたお金を元に大阪で一人暮らしをしようと決めました。

何故、大阪かと言うと『横浜に帰る』と嘘をついて退職する事にしたので同じ京都だとどこかで社員の人とバッタリ会ってしまうと思ったからです。

あと、その当時、既に漫画にハマっていた私は同人誌即売会などのイベントがよく開催されている大阪に憧れもあったのだと思います。

京都の西陣織の住み込み修行生活を振り返って

辛い事の多かった京都の西陣織の住み込み修行生活でしたが、想い出深い経験はたくさんさせてもらいました。

まず、社長家族の食事も含めて、朝・昼・夕の3食は住み込みの女の子たちが当番制で食事を作らされました。
それまで料理なんぞした事が無かったから、社長の奥さんに教わりながら作りましたね。

あと、毎日夕方にお風呂を沸かすのも住み込みの役目。
しかも、お風呂を薪で沸かすんですよ。
薪で沸かしたお風呂の方が体が温まるんだとか…。
まさにカルチャーショックでしたね、ぶっとい薪に火をつけるのに苦労しました。

あと、寒い季節に泥だらけの大根をたくさん洗わされて干して、沢庵を漬ける下準備もさせられました。
この時、恥ずかしい事に沢庵の正体が大根だった事に気付かされました(笑)

西陣織の帯を織る前に織り機にセットした糸を一本一本、手で結んでいく作業が眠気との戦いで辛かったですね。
不器用な上に集中力の無い私はウトウトしてしまう事が多くて怒られてばかりだったなぁ…。

あの頃の私よりは今の方が年齢を重ねた分、マシな気がするし、仕事に向き合う姿勢もあるので今ならもう少しマトモな帯が織れそうな気がするんですがね…。

もう一度チャレンジしてみたい気持ちも自分の中では少しはあるのですが、もうやる事は無いだろうと思います。
…て、言うか、もう年も年だし採用されませんね!!

辞めてしまった当初は『無駄な2年半を過ごしてしまったなぁ』と後悔した事もありました。
暫くの間は学歴コンプレックスに悩み、普通に高校に行ってバイトとかして、友達と一緒に遊園地や映画とか行く事とかに凄い憧れましたね~。


でも京都での生活が無ければ大阪で一人暮らしする事も無かったですし、今いる友だちの多くは関西で知り合った人たちなので京都の西陣織の住み込み修行生活も決して無駄では無かったのだと今では思います。

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